小さな頃から山に登り、京都大学理学部で動物学を学び、フィールドワークで民族学を進めた人。
情報をカードで整理して、くっつき合わせて思考をつくり、毎月のように本を書いた人。
民族学博物館の初代館長。
情報を伝える仕事をとらえた人、ほぼ日のお父さん。
66歳でウィルス性炎症により失明して、その後も本を書き続けた人。
南方熊楠を思い出すな。明治時代、植物と語学の南方熊楠。昭和時代、民族と情報の梅棹忠夫。
そして、梅棹さんの言葉で、心にとまるもの。
- ひとつのアイディアをくりかえし 様々な場面に ぶつけてみる
- 思想は使うべきもの(32歳)
- ひとつのアドヴェンチャーがおわったら、次のアドヴェンチャーの計画にとりかかる。それは、連続してなにかある究極の目的につながるものである必要はまったくないのだ。そのときそのときに、全身全霊をあげてあそぶだけのことである。(72歳)
太陽の塔をながめながら、芝生の上でお弁当ひろげて、ゆたりと笑いながら、しあわせな時をすごす人々。しあわせになるように、暮らしていこう。