NTT-ICC 「みえないちから」「Open space」

  • 「みえないちから」

部屋に入ると、まず映像。形のある色が動くもの。埃が舞うもの。ぼんやりと見ていると、普段意識しないもの、気や空間のようなものに気持ちが向けられていく。

次に、フォルマント兄弟のお化け屋敷。映像の「今、ここ」と私の「今、ここ」、違うのに同じ、これは何?という問いかけから始まる。写真という紙切れに込められた情念、携帯電話で取り憑かれたように話す人々、それは昔からお化けとして語られてきたものと近い、と話は続く。最後に、蜂はクローバーを受粉させて生かしているのだから、蜂はクローバーの一部。ならば、人は機械の作り出した「今、ここ」に生きているのだから、人は機械の一部、と結論づける。ひとつ上の、新しい視点だと思う。

そして、志水児王のクライゼンフラスコ。緑のレーザーを特殊なレンズを通してフラスコにあてる。フラスコの形や厚みによって、光が空間に散る姿が綺麗。部屋いっぱいに広がったいくつもの線が、それぞれの速さで形を変えていく。ゆっくり、はやく、なめらかな曲線やはっきりした直線。意識を変えると見えてくるもの。

最後に、この企画の原点となった、オスカー・フィッシンガーの映像を見た。映像で音の空間が表されている。1940年代のアニメーションだけれど、タイミングや形や色が波をもって動いているよう。素晴らしい作家さん。


「みえないちから」というより、「みえないという状態」や「みえないもの」。世界には、見えるものも見えないものもある。見えないものに目を向ける、美しいものとして見せる、それが今回の作品やね。


ところで、このアートを見ていて、「見えないものだけど感じるでしょう」と「見えるものを見よう」、どっちが素直かなと考える。アートの目とサイエンスの目。私には、どちらもバランスよく必要やな。


  • 「Open space」

まずは、野老朝雄のフラットスコープから。二枚のシート、それぞれにほぼ同じ幾何学模様が描かれている。それを重ねて少しずつずらしていくと、一枚のシートの模様よりも大きな模様が見えてくる。ずらすと、模様の周期が合うところが変わるんやね。模様が変わるのが楽しくて、動かすのがおもしろかった。

続いて、Gebhard SENGMÜLLERのパラレル・イメージ。光の量によって導電性が変わるセンサーを平面状に並べておいて、センサとLEDを1個ずつケーブルでつなげておく。センサの前でものが動いて影の形が変わると、LEDも同じ形を描く。単純にものとしておもしろいよ。そして、それだけじゃなくて、これはテレビのもう一つの形。使われなかった方式を形にすることで、昔を新しく作りだしている。他の作品も見てみたいな。

そして、クワクボリョウタ鉄道模型。鉄道の前にライトがついていて、走るとまわりの木やトンネルの影を、部屋いっぱいに大きく映し出す。ザルの中を通ったときには、私自身もその中に入り込んでしまう。自分がここにいながら、模型の中にもいる感覚が、新しくておもしろかったよ。

最後は、無響室。渋谷慶一郎の音楽を一人で聞く。音に包まれている、というより、音にさわられているような感覚。近くに音があり、音が動いている。5.1chサラウンドよりも強い。気持ちよかった。


ICC、いいね。